どうも。鳥の爪団 総統です。
筆者はゲーム実況者で、YouTubeでホラーゲームなどを多く実況しています。
過去の経歴などはこちらの記事にも書いています。予めチェックしておくことをオススメします。
» 【就職活動】内定を蹴ってYouTuberとして生きていく道を選んだ話【選択肢は自分次第】
今回は、今まで語らなかった親についてのお話です。話の性質上どうしても重たい話になってしまうので、苦手な方は気をつけてくださいね。
ちょうどこの記事を書いている8月11日は母親の命日です。筆者自身はこの出来事を乗り越えて前に進んでいますし、今までの体験や人生を話すことで誰かの勇気や頑張りに繋がればいいなぁという想いで書いていますので、あまりマイナスには捉えないでください。他意はありません。
家族構成
- 【我が家の家族構成】
- ・父親
- ・母親
- ・おばあちゃん
- ・姉
- ・私
18歳までの家族構成です。おじいちゃんは私が幼稚園生の頃に亡くなってしまいました。
幼少~小学生の頃
私の実家は元々農家でした。おじいちゃんは早くに亡くなったので、畑の管理は父がしていました。父はサラリーマンとして忙しく働き、家に帰ってくるのは毎日21時過ぎでした。たまの休みも畑の管理に追われることが多く、とても真面目なまさに「仕事人間」という感じの人です。
母という存在の大きさ
忙しく働く父は家にいない時間が多く、家族の間を取り持っていたのが母でした。パートで働く傍ら家事やおばあちゃんの介護、私達姉弟と一緒に遊んだり、いつも家を明るくしてくれる存在でした。母はゲームが好きな方で、ゼルダの伝説などをよくプレイしていました。子供の頃は3人でゲームをすることも多く、ゲーム実況者として活動する今の私の人生にも大きく繋がっている印象を受けます。
中学生で不登校になり、何とか高校進学へ
以前こちらの記事でも書いたとおり、筆者は不登校を経験したことがあります。
私が学校に行けなかった間、ずっと相談に乗ってくれていたのは母でした。反抗期だった私はとても迷惑をかけました。子供だった私は親のありがたみも何も理解していなかったと思います。何とか高校進学してからも自分のことで手一杯だった私は親に何の恩返しもできていなかったです。時が過ぎて私が高校三年生の夏ごろ、健康診断がキッカケで母に癌が見つかります。胃がんでした。
実感のわかない日々
癌が見つかったと言われた時はその事の重大さが理解できず、「きっと治療すれば治るだろう」くらいに考えていました。親も私たち姉弟には心配をかけたくないのか、詳しいことは教えてくれません。しかし秋、冬となるにつれて母の容態は悪化していきました。そして同時にずっと入院していたおばあちゃんも容態が悪化していきます。
卒業式の答辞を担当することになる
中学生のときこそ自信をなくしていた私でしたが、高校では生徒会にも入り精力的に活動をしていました。そんな私を見てか先生方は卒業式で私に答辞をやるよう任命してくれました。体調が優れない母も卒業式は見に来てくれました。答辞を読み上げている最中も壇上から母と目が合ったのを今でも覚えています。
母からの手紙
学校行事の一環で卒業式を終えた直後、母から直筆の手紙をもらいました。そこには強いメッセージが込められていました。
卒業おめでとう!
あっという間の3年間でしたね…入学した頃は不安でいっぱいな顔をしていたけれど、今日は3年生代表として答辞を述べ、きっと自信に満ち溢れ少し大人な顔に見える事でしょうね。
私が今回病気をし、色々な面で心配や迷惑をかけてゴメンネ。母は「絶対病気に負けない」と思って頑張るからね。そして月並みですが「一日一日の時間の大切さ」に気づき、「私は一人で生きているのではない」と改めて気づかされました。色々な事に感謝!感謝です。
だからこそ今、言えます。
人に感謝する気持ちを忘れず口に出して「ありがとう」と言える大人になって下さい。人生は一度しか無い。突っ走ってみて下さい。無我夢中で自分の目標や夢を追い求めてみて下さい。自信に満ちた大きな器の男になって下さい。
あるドラマのセリフです。
「自分の人生が好きだったと思える生き方をしろ!」なんだか心に響きました。
私は色々な事に一生懸命に頑張る貴方の姿をずっと見守りたいです。
私の息子として生まれてくれてありがとう。
そして本当に本当に卒業おめでとう。3年間良く頑張ったね。
母より
専門学校へ入学
高校を卒業した私は専門学校へ入学します。母の容態は悪化する一方でした。通院治療から入院へと変わっていきました。
私が通っていた専門学校は「テレビやラジオ、アニメ業界などのスタッフを目指す」学校でした。専門的な知識を日々学ぶ一方で、今まで深く考えなかった疑問が浮かんできます。「業界は遅くまで働いたり、出張や社内で寝泊まりするイメージも強いけど、家族などに何かがあった時にちゃんと帰宅できるのだろうか…」と。
何となく自分の中で大切にしたい働き方・生き方を考え始めた瞬間だったと思います。
母の余命が告げられる
私が専門学校の一年生の時、18歳の7月に母に余命が告げられました。
「余命1ヶ月」でした。
母の容態がよくないことは薄々分かっていました。しかし、この瞬間まで詳しいことを知らされていなかった私は突然のことに言葉を失いました。どこかでまだ「治療すれば良くなるだろう」とすら思っていました。そして、それからの一ヶ月は一瞬の出来事でした。
その時は訪れる
父はおばあちゃんのお見舞いと母のお見舞い、両方を行ったり来たりする日々でした。そして8月10日に「おばあちゃんが亡くなった。」と連絡が入ります。
衝撃と悲しみに包まれた翌日、8月11日の夜に今度は別の病院から連絡が入ります。
「母が危篤状態です」と。
私達は急いで病院に向かうも想いも虚しく、母は既に冷たくなっていました。49歳でした。2日連続して家族を失うという理解できない出来事、親の死に目にも会えないやり場のない怒り、普段は真面目で寡黙な父が泣き崩れている姿を見て、この世の残酷さを突きつけられたような気分になりました。
”死”という概念の捉え方が変わる
その時、私は不思議なことに病室中を見回しました。
藁にもすがる思いで母の面影や霊を見ようと思ったのだと思います。しかし、当然ながらそういったモノを感じたり、見ることは出来ません。「あっ、やっぱり嘘なんだ」と思いました。この時、私の中で”死”という概念の捉え方が大きく変わりました。
それまでは何となくホラー映画のような死や呪いこそ「恐怖」の象徴であり、怖いような気がしていましたが、所詮はエンターテイメントとしての”死”でした。本当に怖いのは大切な人の傍にいられないこととか、もっと別の角度に恐怖はあって、「”ビックリとしての恐怖や不安”と”本当の意味での恐怖や不安”」とは全然違うものだなと感じました。
少し話しは逸れますが、私がホラーゲームを多く実況するのは、”本質的には恐怖してない”からだと思います。多くのホラゲで大絶叫していますが、それはエンターテイメントとして楽しめているからこそです。
無気力になる
今でこそ冷静に当時のことを考えられますが、あの頃の私は母が亡くなったことで全てに対して無気力になってしまいました。親孝行すらできず亡くなってしまった母。前を向いて自分の人生を歩まないといけないことはわかっている。頭ではわかっていても行動に移せません。ようやく高校三年間を終えて、これから頑張ろう!という時期に「自分の価値観やら、生き方やら、働き方やら」色々なものが一気に押し寄せてくるような感覚に押しつぶされそうになっていました。
専門学校では授業をサボることも増え、就職活動もろくにせず、結局、就職先が決まらないまま卒業を迎えてしまいました。それでも色々なことを経験し、少しずつ精神的にも成長し、今も何とか生きています。
この辺の詳細はこちらの記事で書いています。
» 【就職活動】内定を蹴ってYouTuberとして生きていく道を選んだ話【選択肢は自分次第】
今やれること一つずつ
私の場合、母の死を乗り越えて自分の人生を整理するのに凄く時間がかかりました。今もまだ整理してる最中かもしれません。この記事を書くこともその一環かもしれません。それでも今、自分にやれることを一つずつやっていくことが大事だと思っています。
母はきっと無念も感じながら亡くなっていったと思います。それでもきっと自分の中で整理を付けながら人生と向き合い続け、自分の生涯をまっとうしました。凄くカッコいいと思います。
もし、そんなカッコいい生涯をまっとうした母が見守ってくれているなら、母が誇れるような人生を突っ走っていきたいです。そこに他人は関係ない。自分がどう生きるか、どう生きたいかを突き詰めていきたいです。
最後に
死は意外と近くに潜んでいたりします。ふとした瞬間に思わぬ形で訪れるかもしれません。今これを読んでいる貴方に大切な人はいますか?家族はいますか?友達はいますか?その人、あるいは自分自身に訪れるかもしれません。
そうなった時に悔いのないように、「毎日を大切にし、感謝を伝えられる人」になっていきたいですね。
今回は以上です。
重たい話しになってしまったかもしれませんが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
そして、母ちゃん。産んでくれてありがとね。
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また別の記事でお会いしましょう。
総統の動画をいつも拝見させていただいていますが、こんな過去があったのにはとても驚きました。そんな経験をしたら、立ち直るのに相当大変だと思うのに、今は実況者としていつも面白い動画を作っていて、本当にすごいと思います!僕は今大学一回生で、小さいことをネガティブに考えていたのですが、総統のブログを見て、そんな小さいことでくよくよとしていたらダメだなと気づかせてもらえました!僕も相当みたいに強い人間になれるように頑張ります!人生の大切なものについて教えてくださり本当にありがとうございました!
総統さん、私も身近で大切だった人を亡くした経験があります。
私の場合は父方の祖母でした。
父方の祖母は持病のてんかん発作で姉が倒れて入院している間に父方の祖母の元に私は預けられて面倒を見てもらっていたんです。
だから、父方の祖母が心臓発作で倒れて亡くなったって聞いて父方の祖母の元へ行ったら、その頃の事を思い出して泣きそうになりました。
ただ、亡くなった父方の祖母は私の中で行き続けていると思うんです。
だから、総統さんも亡くした母親が自分の中でまだ行き続けていると思いながらゲーム実況を楽しみしている私達視聴者を楽しませて下さい。